平泉寺白山神社二の鳥居です。
見るからに神仏習合の象徴のような鳥居です。
額には「白山三所大権現」と記されております。
二の鳥居(にのとりい)
この鳥居は両部鳥居で、神仏習合の形式です。
鳥居は一向一揆で消滅しましたが、1778年(安永6年)に再建されました。
中央の額には「白山三所大権現」と書かれており、中御門天皇の皇子・天台座主・公遵法親王の筆と伝えられています。
鳥居の中央に屋根がついているのはこの額を護るためです。
額内の三所とは白山の御前峰、大汝峰、別山 を指しています。
鳥居をくぐると道が三つに分かれています。
まずは左の道を進んでみます。
最初の祠には「縁結び観世音菩薩」の幟旗が立っていました。
苔で覆われた境内。
小さいお宮がいくつもあります。
貴船神社
阿吽の狛犬
今宮神社
古来は平泉寺四十八社あったもののうちいくつかがここに集められているようです。
苔の境内を眺めながら、今度は右側の参道を進んでみます。
中央の参道から拝殿。
異様に背の高い杉の林です。
苔のむした境内
忠魂碑と記功碑
開山社
苔の中に並んでいる岩はかつての拝殿の礎石です。
幅が46間(およそ83メートル)あったようで、京都の三十三間堂より大きな建物でした。
二の鳥居まで戻って、中央の参道を進んでみます。
拝殿が近づいてきました。
拝殿(はいでん)
正面の額に「中宮平泉寺」とある拝殿は、江戸時代に作られた寄棟檜皮葺(よせむねひわだぶき)で平安時代の風情を残しています。
1574年(天正2年)の一向一揆で全焼する前の拝殿は、幅が46間(およそ83メートル)あったようで京都の三十三間堂より大きな建物でした。
左右に点在する礎石が当時の大きさを物語っています。
拝殿の中には十数面の絵馬があり福井藩主松平家の奉納品が多く、ほとんどが勝山市の文化財に指定されています。
その中でももっとも古い絵馬は1598年(慶長3年)のものです。
中宮平泉寺の額
正面には「中宮平泉寺」の額は一品天真親王が筆したものと云われるもので神仏習合の名残が見られます。
神仏分離で「中宮平泉寺」の額は撤去されるはずですが、一品天真親王の筆によるものとあれば無碍にはできなかったのでしょう。
神仏習合の始まりと、泰澄大師の白山開山とは歴史的には、ほぼ同じ時期だったようです。
たくさんの人が登ってきました。
拝殿の奥へと進んでいきます。
石段の上に金属製の階段が設られていました。
本社(御前峰御本社)ごぜんがみねほんしゃ
白山の主峰である御前峰の神・伊弉諾尊(いざなみのみこと)をお祀りしています。
本社は1795年(寛政7年)に第12代福井藩主・松平重富により再建されました。
総欅(そうひのき)の入母屋造榑葺(いりおもやづくりくれぶき)。
外観は白木造りですが、内部は美しく彩られています。
御本社を中心に右に別山社、左に越南知社を配するのは、白山を構成している3つの山と神々をあらわしています。
今は失われていますが、中世から近世にはさらに金釼社(かなつるぎしゃ)と加宝社(かほうしゃ)が加えられ、五社が整然と立ち並ぶさまは壮観であったことでしょう。
本社の内扉は33年に一度開けられます(御開帳)。
次の御開帳は2025年(令和7年)5月です。
あらまあ!
33年に一度ですってよ!w
来年ですね^^;
狛犬 阿!
狛犬 吽!
鼻が長いので、象かな?
昇り龍。
超絶技巧!!
降り龍。
まさに辰年にふさわしいお龍さまではございませんか!w
本社 流石です!
泰澄のお膝元の威信を感じます。
彫刻がすごい!
鳳凰ですね。
屋根はこんな感じ。
白山妙理大権現と記されております。
白山妙理権現とは
古くから天下の名山として知られる白山は、御前峰(ごぜんがみね)・大汝峰(おおなんじがみね)・別山(べつさん)の総称です。
養老元年(717年)に越前の僧・泰澄(たいちょう)が初めて登拝して山頂に祠を祀って以来、日本を代表する神仏習合の霊山として崇敬を集めています。
加賀・美濃・越前には登拝のための拠点が築かれたほか、その神霊は全国の二千七百もの社に勧請されています。
白き神々の峰として崇められた白山は、多くの霊峰と同様、古くは人間が足を踏み入れることを許さない禁足の山でした。
そこに分け入ったのが、「越の大徳(だいとく)」と呼ばれた泰澄で、次のような伝承が伝わっています。
――越前や加賀の窟(いわや)で修行に明け暮れていた泰澄は、あるとき女神の示現にあい、「私は白山妙理権現である。私の真の姿が見たければ白山山頂に来たれ」と告げられた。
女神に導かれ、ついに人跡未踏の山頂に到達した泰澄。
山頂近くの「転法輪の岩屋」にて祈りを凝らすと、翠ヶ池から火を吐きながら九頭竜があらわれた。
その姿に満足できなかった泰澄がさらに祈ると、龍はその身を変じ、女神の本地仏である十二面観音が神々しい姿てあらわれた……。
別伝では女神・伊弉冉尊(いざなみのみこと)から十二面観音へと変じたとも伝えられています。
白山は古来から里に水をもたらす水源の場であり、祖霊が鎮まる場でした。
君臨した神は、水の霊力をつかさどる龍神であり、黄泉国の主宰神である女神でした。
そこに、それらを超える“カミ”として、当時、霊験仏として脚光を浴びていた十二面観音がもたらされた――上記の伝説はそんな図式を物語っています。
これらの神仏はたがいを打ち消し合うのではなく、合わさり成長した形であらわれている点に注目してみます。
それが神仏習合の妙味であり、白山権現とは、いわば旧来の信仰をあわせもちながら、さらに仏の霊験を秘めた山の神だったといえるでしょう。
なるほど、白山信仰は神と仏のハイブリッドだったのですね?
それで、神仏分離に絶妙に引っかかったわけですか?
現在で言えば、ガソリンエンジンか? 電気自動車か??
電気こそ正義と唱えていた国々が、電気の矛盾に気づいて、かと言ってエンジンにも戻れない??
そこでハイブリッドが勝利する??
みたいな???w
苔に覆われた境内。
素晴らしい!
越南知社(おおなむちしゃ)
越南知社(おおなむちしゃ)
本殿に向かって左の社です。
大己貴尊(おおなむちのみこと)を祀っています。
大己貴尊は大国主命(おおくにぬしのみこと)とも申し上げます。
別山社
別山社(べっさんしゃ)
本殿に向かって右の社を別山社といい、天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)を祀っています。
天忍穂耳尊は、天照大神(あまてらすおおかみ)の子、天孫降臨された瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の父にあたります。
別山社から本社を見た図。
苔に覆われた境内。
参道へと戻ります。
参道から見た境内。
ここがメインストリート!
拝殿脇の苔。
二の鳥居へと戻ります。
帰りの参道の右手は、こんな感じです。
二の鳥居まで戻りました。
次回は三の宮に向かいます。
平泉寺白山神社その2 二の鳥居 拝殿 本社 4K
イーハ陶房でくの