さて、精進坂を登っていきます。
左手に寺院があったので寄ってみます。
六地蔵??
白山の山頂から少し御池巡り側に進んだところに六地蔵という場所がありますね。
それとなんか関連があるのか?
六地蔵は、地獄の苦しみから救い、死者が生まれ変わる6つの世界をめぐって救済する尊い存在です。
墓地の入り口でよく見かける理由は、この世とあの世の境界にお地蔵さまを置き、神聖なお墓に魔が侵入するのを防ぐためと言われています。
なるほど、六道輪廻の全てを救済するために六体なのですね。
鐘撞堂
わらべ地蔵尊
門があります。
小さなお堂。
れいおうさんけんかいじ 霊應山顕海寺
概要
顕海寺は、創建:寛永15年(1638)、宗派:天台宗、山号:霊應山。
開山:顕海僧正、本尊:阿弥陀如来。
天正2年(1574)、織田信長による越前攻めにより、越前守護職の朝倉氏は大名家から没落した事で越前国内の勢力の均衡が崩れ一向一揆勢が平泉寺の境内を占拠しました。
その際、多くの堂宇、寺宝、記録などが兵火により焼失し平泉寺は大きく衰退しますが、顕海僧正が平泉寺を再興した際、跡地に草庵を結び顕聖院と号し、寛永15年(1638)に堂宇を建立し寺号を顕海寺に改めます。
1574年(天正2年)一向一揆により全山焼失しましたが、その難を逃れた賢聖院(げんじょういん)の顕海僧正(けんかいそうじょう)は9年後二人の弟子と共に平泉寺を再興しました。
後に顕海は玄成院(賢聖院の漢字表記が変わる)を弟子の専海に譲り、自ら隠居寺にした寺が顕海寺です。
事態を予見していた平泉寺の学頭賢聖院(げんじょういん)顕海(けんかい)僧正は、専海(せんかい)・日海(にっかい)のお弟子二人に、急いで重要で持ち運びのできるものをまとめさせ、九頭龍川上流の越前美濃国境付近の桔梗原(ききょうがはら)に落ちのびました。
そして、そこに住んでいた原家(はらけ)の世話になりつつ雌伏すること十年、天正11年(1583)春、頃合いを見計らって三人は平泉寺に帰山しました。
一面は焼け野原のままでしたが、旧境内の一角に廬(いおり)を営み再建に着手しました。
有難かったのは、豊臣秀吉がすみやかに朱印状を下し、平泉寺そのものが安堵されたことです(秀吉の庇護を受け安心して生活することができました)。
顕海が平泉寺を再興し、その後隠居した場所がこのお寺のようですね。
おそらく顕海の霊廟なんでしょう。
玄成院代々の位牌所、門前の壇那寺として建立されたとあります。
外側から見る顕海寺。
その2
さて、白山神社の参道へと戻ります^^;w
白山神社の文字の上が消されてる??
なんて記してあったのか??
無理やり埋め込まれたように見えますね。
精進坂
この坂から上に魚を持ち込むことを禁止されていたのだとか。
一の鳥居が見えてきました。
木製の鳥居なのですね。
鳥居をくぐってすぐに、芭蕉の句碑があります。
白山神社社務所
帰りに寄ってみます。
一の鳥居を振り返る。
手水舎
ここで身を清めてから先に進みます。
杉の並木がすごいです。
人物が入った方がスケール感が出ますね。
飼葉料(かいばりょう)
桃山時代、拝殿の内に掲げられている絵馬から夜中に神馬が抜け出して村の田畑の作物を喰い荒したので、この場所を馬の飼葉料にしたと伝えられています。
現在も草を刈り残しています。
言い伝えです。
なんの草だろう??
花茗荷かな?
調べてみても草としか出てきません^^;w
さらに進んでゆきます。
二の鳥居が見えてまいりました。
右手には八幡神社。
御手洗池(平泉)
どうやら、この池が平泉寺の由来のようですね。
なにやら仰々しく囲われた一角。
神泉(しんせん)
神聖な泉らしい。
こんこんと水が湧いていました。
御手洗池(みたらしいけ 又は おみたらし)
御神木
縄がかけられています。
途中で幹が三つに分かれています。
白山三所権現にちなんでいるのでしょう。
御手洗池
池の底は泥のようですが、水は異様に透明で、水鏡になっております。
水鏡だよ!w
泰澄大師による白山開山と当社の始まり
当社は養老元年(717)の泰澄大師による白山開山からほどなく、泰澄自身の手によって創建されました。当時は平泉や平清水(ひらしみず)と呼ばれていたことが知られています。
泰澄は越前(福井県)の人で、越知山(おちさん)で修行し、女神(白山大神)の招きに応じて、同年4月1日勝山の地を踏まれ、さらに東の林泉にたどり着かれました。
現在も、平泉寺白山神社の一角にあって滾々(こんこん)と水が湧き出ている御手洗池(おみたらし、つまり平泉)がそれにあたります。
その泉のほとりで祈っていますと、ふたたび女神が、泉の中の影向石(ようごいわ)に出現、白山登拝を促しました。
そこで泰澄は、二人の行者、淨定行者(きよさだぎょうじゃ)と伏行者(ふせのぎょうじゃ)とを伴って、白山に十泊以上かけて登拝されました。
これが白山の開山と伝えられているものです。
平泉は「坂の下から湧き出る泉」をいい、「ひら」は坂や崖を意味する非常に古い古語です。
三人は山頂での千日におよぶ修行ののち下山、御手洗池(平泉)のほとりに白山大神(女神、伊奘册尊/いざなみのみこと)を祀る祠(ほこら)を建て、その傍らにお住まいになり修行に励まれました。
これが当社の始まりです。
池の背後には石段があります。
現在は通れません。
池の裏側から鳥居を望む。
これが女神が現れた影向石(ようごいわ)です。
ズームイン!
それでは二の鳥居へと進んでゆきましょう。
その2に続く。
平泉寺白山神社その1 顕海寺 一の鳥居 御手洗池 4K
イーハ陶房でくの