
小さなお友達を連れて末古窯跡群をみに行ってきました。

寺津用水沿いの遊歩道を進みます。

秋晴れの気持ちの良い1日です。

町が見えてきました。

大きなどんぐりの木があります。
クマが来るかも???w

この辺りの斜面に奈良時代から平安時代にかけての窯跡がたくさん見つかっているらしいです。

この辺りの町名は「末町」ですけど、その昔須恵器を盛んに焼いていた所から、この名前が付けられたそうです。

学院大に登る坂道のところまで来ました。

ここに案内板があります。
令和 元年度 金沢市埋蔵文化財調査年報
4.末窯跡群辰巳支群 (遺跡番号 県:112800 市:360)
所 在 地:金沢市辰巳町地内 北緯 36 ゚ 30′38′′ 東経 136 ゚ 42′16′′ 調査面積:1,060m2
種 別:集落跡 主な時代:弥生、奈良、平安 担 当:向井 裕知
■ 遺跡の概要
辰巳町
末窯跡群辰巳支群は、金沢学院高等学校グラウンド建設を調査原因として、発掘調査を実施した。
末窯跡群は、金沢市街地の東南部に位置し、犀川と浅野川に挟まれた舘山丘陵一帯に分布している。
窯跡群は辰巳支群、末支群、浅川支群の3つの支群で構成され、今回調査を実施した辰巳支群は最も 東側に所在する。
周辺には、窯跡以外の古代遺跡は未発見であるが、縄文時代の集落遺跡や中世の寺 跡、館跡、砦跡と推定されている遺跡が分布する他、国史跡の辰巳用水附土清水塩硝蔵跡や国名勝の 末浄水場園地が所在している。
今回の発掘調査では、弥生時代から平安時代の土器や石器が見つかり、主な遺構としては、ピット や造成土などがある。
造成土は恐らく江戸時代以降の耕地面積増加を目的としたものと考えられ、造成土中から末窯跡群 辰巳支群の窯で焼かれた土師器や須恵器が多数出土した。
これは、窯跡本体もしくは灰原からもたら されたものと考えられる。
窯跡に由来すると考えられる出土品は、奈良時代から平安時代のものがあり、須恵器蓋・坏・碗・壺・ 甕、土師器碗・甕、窯体片などが出土した。
詳細な年代は、今後の整理作業で明らかにしていきたい が、これまで言われていた須恵器生産が8世紀中頃~9世紀中頃、土師器生産が8世紀中頃~9世紀 後半の操業期間の範疇に含まれることが予想される。
ただし、須恵器の碗形態のものに関しては、既 往の末窯跡群の調査では出土事例が無いため、操業期間の再検討を迫る資料となる可能性があり、今 後の整理作業で明らかにする必要がある。
これらの窯跡に由来する遺物群は近世以降の耕作地造成による造成土中に含まれていた
。調査では、 その造成土に伴う水田の畦と水路、水田面が検出されている。
また、水田より丘陵側では、倒木痕が 多く検出されたので、果樹などの植樹帯であった可能性が考えられる。
また、同じく造成土中から弥生土器と打製石斧が出土した。
今回の調査地では、明確な遺構は検出 されなかったので、周辺丘陵地に弥生時代の集落などがあったことが推測される。
なお、本発掘調査においては、金沢学院大学文学部文学科歴史学専攻学生が考古学実習として一部 参加しており、今後の遺物整理作業においても、同専攻考古学コースと連携して実施する予定である。
最新の情報が見つかりました。
学院大も関係しているようです。
ちょっと古い金沢大学の資料はこちら。
末古窯跡群分布調査報告(「金大考古」第12号から転載)
末古窯跡群分布調査報告 (『金大考古』第12号から転載 )
金沢大学文学部考古学研究室 (現 金沢大学人間社会学域人文学類考古学研究室)
金沢市の南東部、末町・舘山町・辰巳町・浅川町 などにまたがる舘山丘陵には、末古窯跡群と呼ばれて いる律令体制下の窯跡群が分布している。
後に述べる ように、分布調査・発掘調査はすでに行われており、 当窯跡群の概略は明らかにされているが、より詳細な 窯跡の分布を明らかにする目的で、当研究室が 1985 年春、7 回にわたって分布調査を行なった。ここにそ の成果を報告する。
末古窯跡群の操業年代は、 8C中葉に始まり9C初頭に最盛期をむかえ、その後
衰退したとしている。

末古窯跡群

自分たちの住んできる町が、昔焼き物をたくさん作っていたことが分かったので、粘土で何か作ってみます。

今回は練習というか、粘土を触ってみよう!
という感じです。

原始時代の器の作り方を実際に再現してみる!w
膝とか腕とか、体の一部を型にして作っていたという説があるのよ。

今回は練習だけど、この次は本当に焼くやつを作るからね!
どんなものを作りたいか、今から考えておいてね。
末古窯跡群を見に行く 4K
イーハ陶房でくの



















