
石動山に現存する建物、日燈寺です。

石柱になんと彫られているのか??
おそらくは、「南無妙法蓮華経」だと思われます。
私が昔住んでいた地域にも同じような石標がありました。

苔の生した石段と山門。
それほど派手な感じではありません。

不動明王。
法華経と不動明王って??
なんかイメージが違うけど?w

こちらは地蔵菩薩ですね。

山門です。

お堂が見えてきました。

石動山 日燈寺。
お寺というよりは会堂という感じだな。

立派な紅葉の木です。
紅葉の頃は良いだろうね!
12月くらいかな??

これが石動山 日燈寺です。
このようなお堂がこの山には大小300余り存在していたということなんでしょう。
>むむ、、、、。
これは??

前田家の梅鉢紋です。

鬼瓦は瓦ではなく、銅製に見えますかね?

こちらは新しく建てられた建物でしょうか?

小さな池のようなものがありました。

やはり、紅葉の頃が良さげですね。

裏側から見る山門。

苔むした石段。

日像菩薩初転法輪道場
と、読めますかね??
日像菩薩って??
何よ???w
日像上人の霊蹟・由緒の地
日像上人は、日蓮聖人より「帝都弘通」(ていとぐづう)の命をうけ、北陸経由で京都をめざしました。その道すがら法華経の教えを説き、いくつもの寺院を改宗させました。
石川県(能登)
▪金栄山妙成寺:石川県羽咋市滝谷町ヨ1
永仁2年(1294)の創立。日像上人は、能登七尾港へむかう船旅の途上、石動山天平寺座主満蔵法印を折伏。満蔵法印は日乗と改名、日乗によって創建された。
(公式サイト)http://takidanimyouzyou.p1.bindsite.jp
(『大鑑』「石川二部」, p.659)
▪華開山成蓮寺:石川県七尾市小島町2
永仁元年(1293)の創立。日像上人は、佐渡より七尾港に向かう際、石動山天平寺の御用船の船主番匠弥右衛門の船に便乗し、七尾港では番匠家に宿泊した。日像上人は番匠家の家内親族を教化し、板本尊を授与、番匠家の真言宗の菩提寺を改宗して成蓮寺とした。
(『大鑑』「石川二部」, p.659)
▪常在山本土寺:石川県鹿島郡中能登町西馬場ユ-3 :
正安二年(1300)の創立。越中埴生の護国八幡宮の社僧であった乗純は北陸巡錫中の日像に帰依した。永仁二年(1294)年、日像上人は石動山の衆徒に追われるという法難に会ったが、その際、加賀太郎祐乗、加賀北太郎道乗の兄弟が、日像上人を守るため討ち死にした。乗純は、兄弟の追悼のため、現在地に寺院を建立、日像上人より寺号を授かった。
(非公式)http://tempsera.at.webry.info/201405/article_31.html
(『大鑑』「石川二部」, p.665)
石動山天平寺座主満蔵法印を折伏して改宗させた??
石動山衆徒に追われるという法難にあった。
追われる前に、初転法輪をした地だということなのかな??
妙成寺と石動山も繋がっていたのか??
いや、繋がっていたとはいいがたいやろ??
だから法難が起きたのではないか??
私が住んでいた場所からほど近い本土寺も日像上人と深い関わりがあるようです。
仁王門の仁王像は石動山から移されたものですしねぇ、、、、。

能登半島 お題目とご縁を結ぶ道場
石川県羽咋市 玉寿寺 【gyokujuji】
〒925-0002 石川県羽咋市滝谷町ヨ22
寺ブログ
石動山日澄寺
中能登町石動山にある日澄寺にて法要が営まれました。
日澄寺は、本山妙成寺第51世不染院日澄上人が、明治22年に廃仏毀釈の様々な困難を乗り越え、日像上人の偉業を顕彰するために建立されたお寺です。
現在は、本山妙成寺が管理しています。
本堂での法要の後、不染院日澄上人のお墓でも読経・回向が行われました。
どうやら日燈寺は明治22年に建立されたようです。
日像上人初転法輪の地に因んでいるんでしょうかね?
その後上人は法難によりこの地を追われたようですが、明治になって石動山に爪痕を残しておいた、、、、。
そんな感じがしてきました^^;w
明治になると廃仏毀釈により石動山衆徒は山を降り四散したという話ですから、明治22年は、伊須流岐比古神社以外は、もぬけの殻であったのではないか??
あとは?
なるほど、妙成寺が管理してるんだね??
51世って??
すごいな^^;w

日燈寺の池のアヤメです。
日燈上人という人物は初めて知りました。



















