
時刻は17:42いよいよ日暮れ間近です^^;w
日の長い時期でなければ暗くなってますよね?
まあ、一番長いのが6月ですか?
車を止めた地点まで戻ります。

林道に降る道もありますが、今回は旧参道を下ってみることにしました。

ここは経蔵跡。

旧参道を降ります。

ここは千年以上続く古道なのでしょうか?
趣のある道ですね。

もしかしたら、この古道、麓まで続いているのかも??
実際そんな道が地図に載っています。
これは調べてみる必要がありますな!w

ヨメナですかね?

夕暮れの撮影だとD750の圧勝というか、D80の出番はほとんどありません^^;w
これまでD750を使っていて手ぶれ補正というかVRレンズの必要性は全く感じませんでした。
手ブレ??
腕が悪いんだろ??
そのくらいに思ってましたが、これがD80だとブレまくり!!w
ちょっと日陰で、まあ普通に写るやろ?
そんな条件でも手ブレ発生しまくりです!!!w
泣きたくなりますね^^;
実際、泣かされたユーザーが多かったのでVRレンズにほぼ全てが置き換わったんでしょう^^;
ただ、D750だと、高感度に強いしISOオートに設定しておけば、ほぼ手ブレなんか発生しない!
それも、事実ですね^^;

玉橋跡。
色んなものがあったんだな、、、、。

三蔵坊跡。
奥のはなんじゃ??w

この建物が三蔵坊なのかどうか?
ちょっと不明^^;
今回はもう日暮れなので、またの機会ですね。

これが行者堂です。

行者堂
この堂は、七世紀後半の山岳修験者「役小角(えんのおづぬ)」を祀っていた堂である。
小角は「役行者(えんのぎょうじゃ)」とも呼ばれ、修験道の開祖として崇拝されている。大和国(奈良県)に生まれ、葛城山で修行ののち、種々の呪術を感得し、虚空飛行など奇跡として伝えられるところも多い。当石動山には霊亀二年(七一六)に登山したと古縁起に記す。行者堂は講堂と共に伽藍の中では重要な位置にあるが、現建物は、天正の戦果で焼失後、江戸時代初期における石動山復興の一環として、一八世紀のごく初め頃に再建されたと考えられる。
嘉永六年(一八五三)能登沿岸警備巡検のおり、時の藩主前田康成公もこの堂に参詣している。
明治初年の神仏分離令によって、石動山関係の数多くの建物や宝物が離散したが、幸いにもこの堂は、鹿島町の最勝講の天神社拝殿として存続してきた。
このたび、地元氏子の理解を得て旧位置に復原し、永久保存の措置がとられた意義は大きい。
にゃんと!
泰澄大師が開山したという話は聞いておりましたが、役行者(えんのぎょうじゃ)が入山した山であるとのこと!
神変大菩薩とも呼ばれる役行者は修験道の開祖として崇められておりますが、その大菩薩がこの地を踏み締めていたとは、、、、、。
恐るべし!
石動山!!!w
これは、パワースポットどころの騒ぎじゃないよね??w

これが行者堂です。
役行者をお祀りしている、、、、。
すごくね??w

確かにパワーを感じますな^^;

作事場跡

日没間近の古道を進みます。

神聖なる原生林!
ここは、入山の時に訪れた場所ですな。

行者堂が同じように見えておりました。

仁王門跡。

鷹王山長楽寺に移築された仁王門の跡です。

入山口に降りてきました。

車に戻ります。
石動山を行くシリーズはこれにてお仕舞いです。
さて、、、、。
私自身、今回の石動山巡りで長年の謎が溶けました^^;w
それは、、、、。
長楽寺には、私の祖先と関係の深い方のお墓がある、、、、。
そんな話を記憶していましたが、、、、、。
私には、長年(二十年くらいか?)謎に思っていたことがありました。
それは、私の母方の祖母(オババ)が亡くなった時のことです。
オババは享年93歳で2002年に亡くなりました。
まあ、大往生でしょう!
オババにはひ孫が6人生まれましたが、その最後のひ孫(うちの次女)が生まれたのが2002年です。
最後のひ孫の顔をしっかりと確認してから、安心して旅立ったのだと思います。
そのオババが亡くなって、駆けつけましたが、通夜の前の晩、枕経を唱えにきてくれた墨染の衣を纏った老僧がいたのです。
オババの枕辺でその老僧が唱えたお経とは??
私の母方の実家の菩提寺は浄土真宗ですから阿弥陀経とか、正信偈とか?そんな感じでしょうか?
実はよくわかっていません^^;w
そかしながら、その当時老僧が枕辺で唱えたお経はなんと!
理趣経だったのです。
なんで私が理趣経を知っているのかは、置いておいて、、、、^^;w
理趣経では南無阿弥陀仏ではなく、盧舎那仏をお唱えするので、聴けば分かります。
わからないのは、何故?私のオババの枕経に理趣経を老僧が唱えているのかでした。
それは、最も尊いお経典と聞かされているので、有難いことに間違いはないので、否定する気持ちは微塵もございません!
そして、その老僧はオババの葬儀の読経の場にも、導師の側の数人の僧侶の一人としてお経を唱えておられました。
もちろん、浄土真宗のお葬式でした。
理趣経を唱えるのは真言宗だけですから、おそらく在所の真言宗のお寺から来られたお坊さんなのだろうと想像はしていました。
ところが、中能登町春木地区には真言宗のお寺は一軒もありません。
一番近いところが良川の山田寺でしょうか?
山田寺(やまだいじ)にはオジジがよくお参りに行っていましたが、おジジの葬儀の時にも山田寺の住職はきていませんでしたし、オババの時も山田寺の関係者は来られていなかったと思います。
では??
あの墨染の衣を纏った老僧は??
一体どこの誰だったのか??
これが、私の20年来の謎です!
しかしながら、今回の石動山行脚でその謎が見事に解けました!
私のオババは北海道で生まれたという話を聞いております。
屯田兵とか?
開拓民とか??
そんな感じの方が父母だったのか??
ところがなんらかの事情で孤児になった??
そこで、現在の中能登町に引き取られて来られた。
そして、オババの育ての親のお墓が鷹王山長楽寺にあるという話、、、、、。
オババと長楽寺はなんらかの事情で所縁が深く、長楽寺の関係者と育ての親のところにいた時に懇意にしていたのだろうと予測されます。
なので、墨染の衣の老僧とオババは幼馴染というのか?
何か親戚付き合いのような親密な関係にあったのかもしれない???
それでなければ、宗派の異なるしかも、隣町の葬儀にわざわざ出向くはずはない!
母方の実家では祖父、祖母、叔母、叔父と4回の葬儀に参加しましたが、真言の僧侶が参列したのは後にも先にも、オババの葬儀だけでした。
なるほど!!
そう考えると、全ての辻褄が見事に合います!!
あの、老僧は鷹王山長楽寺から来られていた!!
これは、私の中で確信に変わりました。
長楽寺に出向いて、お墓にご挨拶に行き、その翌週に石動山に赴いて、長楽寺の山門が石動山から移築された事実を知り、、、、。
その長楽寺は旧春木村に安楽寺として存在していた、、、、、、。
直接の関係はないかもしれないけれど、祖父は安楽寺のあった春木村で、祖母は長楽寺のある能登部下で育ての親の元にいた。
その二人がなんらかの縁で夫婦になり、その子孫としての私が生まれた、、、、。
それだけは、否定のしようがない事実だと確信が持てました。
自分探しの旅。
点と点が線で結ばれた!
それを結んでくれたのが、石動山の力なのだと感じ入ったことでありました。



















