梅宮跡と石動山城跡

さて、山頂から展望台方面へと向かいます。



梅宮跡と石動山城跡

尾根沿いの細道という感じですかね?



梅宮跡と石動山城跡

急な降り、これは振り返ったところ。




梅宮跡と石動山城跡

やや平坦な道^^;w




梅宮跡と石動山城跡

緩やかな登り返し。




梅宮跡と石動山城跡

そしてまた降り。

アップダウンを繰り返します。




梅宮跡と石動山城跡

そして原生林!




梅宮跡と石動山城跡

登り返し。



梅宮跡と石動山城跡

コケイランですかね?

ブナ林の付近で見かけることが多いようです。

白山市ノ瀬とか、白木峰でも見かけたかな?






梅宮跡と石動山城跡

何やら見えてまいりました。




梅宮跡と石動山城跡

こちらは振り返ったところ。




梅宮跡と石動山城跡

梅の宮跡

 五社権現の一つで、鎮定大権現と称し祭神を天目一箇命、本地仏を勝軍地蔵菩薩としている。

 延宝二年(1674)に再建されたもので、一辺約11m、高さ約1mの正面を石積みした基壇上に整然と礎石が配されている。

 現在、梅宮は、七尾市三島町の金刀比羅神社本殿になっている。




ほほを、、、、。

こちらも移築されて現存してるのね??

確認せねばなるまい!w




梅宮跡と石動山城跡

これが石積みされた梅の宮跡。



梅宮跡と石動山城跡

正面から見たらこんな感じです。




梅宮跡と石動山城跡

梅の宮を後にして、さらに進んでゆきます!




梅宮跡と石動山城跡

石動山城址??

ですか??




梅宮跡と石動山城跡

ほぼ水平道で歩きやすい道です^^;w




梅宮跡と石動山城跡

新緑のシャワー!!w




梅宮跡と石動山城跡

ほどなく、結構広場的な場所に到着!





梅宮跡と石動山城跡

石動山城址。

お寺とかお宮じゃなくて??

城跡なんかい??w

時代的にどうなん??w

役行者、泰澄大師、上杉謙信、前田利家。

悲喜交々あったんでしょうね^^;




梅宮跡と石動山城跡

結構広いぞ!w

ここが城跡です。





荒山砦の時代なんですかね??

 「荒山合戦記」によると、天正十年(1582)6月2日、本能寺の変で、織田信長が自刃したのを機に、石動山衆徒は越後の上杉景勝に支援を求め、畠山の遺臣である温井備中守景勝と三宅備後守長盛の両氏と共に、6月23日、枡形山に築かれていた荒山砦に籠りました。

 これに対して、羽柴秀吉は前田利家に石動山攻略を命じ、利家は三千人の兵を率いて石動山に向かい、6月25日未明に石動山と枡形山の中間にあたる柴峠に布陣しました。(7月説が有力である)
そして、荒山砦を普請に向かう温井・三宅群を急襲し、これを破った勢いに乗じて砦に攻め入り、ついに荒山砦は陥落したのでした。(これを荒山合戦という)

 この合戦に勝利した利家軍は、翌26日に一気に石動山院に攻め入って一山に火を放ち、栄華を誇った石動山の堂塔伽藍は、ことごとく焼き尽くされたのでした。
(これを石動山合戦という)



石動山の伽藍等は加賀藩によって再建されたというのも散見されるので、政治的な背景を消し去った上で再建していったんでしょうか??

色々謎ですな^^;w



梅宮跡と石動山城跡

今回の目的は花の写真を撮ること!w

ギンランです。

撮影場所は内緒です!w

D80だとEXinfにも位置情報が残らないので安心ですな!w

その5へと続きます!!w







 

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