
さて、長楽寺がもともと春木村に安楽寺として存在していた!
春木村とは、現、中能登町春木地区、旧鳥屋町春木であり、そこは、私の母方の先祖が代々暮らしてきた地でもあります。
これは突き止めねばなるまい!w
安楽寺跡
時代
江戸
所在地
石川県鹿島郡中能登町春木/奥之坊
緯度経度
36.998500, 136.903750
遺構概要
寺院。<立地>丘陵。<現況>山林・原野
遺物概要
発掘概要
その他概要
LCa3/ON/PN2717/。<全国遺跡地図番号>10-80。旧、鹿島郡鳥屋町。 map92-38、旧番2717
iPhoneで検索したら座標をゲット!w
江戸時代というのはちょっと違うか??
上杉謙信によって焼き討ちにあったという話だからね、、、、。
慶王山長楽寺は、元は安楽寺と称し、七尾城主畠山氏の祈願所として栄えていましたが、上杉謙信との戦により焼失してしまいました。
のちに、加賀前田藩の与力長家の姫君の眼病平癒を成就したことで寺領を寄進され、寺号に長家の「長」の字を入れて長楽寺として再興されたそうです。
とりあえず、座標を頼りに現地に向かいました!!w

それがここです!

左側の杉林が春木村安楽寺跡らしいですが、誰かの私有地であり、遺跡にもなっていないし、入り込めるようなルートはありません。
ただ、この地点は私の母方の先祖が暮らしていた場所から1km以内の場所であり、私の先祖が安楽寺となんらかの関係を持っていたというか、少なくともお参りくらいに行ったであろうことは想像に難くありません。
まあ、上杉謙信の時代だからね??w
長楽寺の山門が石動山から移設されたものだとすると、安楽寺も石動山となんらかの関連があった可能性は否定できません。
長楽寺が真言宗高野山派の寺院であるので、安楽寺もまた真言宗のお寺であった可能性は高いと思われます。
石動山は修験者の行場であり、古くは泰澄大師が開山されたと伝えられていますが、その後真言宗の行者信仰の場へと変化していったのかもしれません。
ROOTS! 自分探しの旅 次に訪れたのが、真言宗高野山派 熊野山圓光寺と言う所。
うちの祖先と、深い関わりがあると前々から思っている場所です。
実際、石動山修行の地の一つ井田の不動滝の行場の手前にある圓光寺は、「真言宗高野山派 熊野山圓光寺」という標柱が掲げられていました。
そこは私の父方の先祖の本家の総本家と関わりの深いお寺だと推測されます。
父方の先祖も、母方の先祖も石動山となんらかの関わりがあったと言うことはおそらく間違えないと思われますね。
春木村安楽寺に関してはこのくらいですかね?
発掘資料とかが存在するのであれば旧鳥屋町の資料館に保管されているのかもしれませんが、、、、、。

話は全然関係ありませんが、この辺りでもう一箇所訪ねてみたい場所がありました。
そこは、私が小学校の低学年の頃に従兄弟たちと盆踊りに行った神社です。
なぜか、その神社のことがとても気になっていました。
私の従兄弟たちとは母方の従兄弟であり、旧鳥屋町春木に私の祖父母と共に暮らしていました。
昔は春と秋の祭り、お盆、正月には必ず従兄弟たちと一緒に御膳を設て「よばれ」たものです。
お盆は「お涼み」と言われて、この神社で盆踊りが舞われていたと記憶しています。
ただ、その神社の名前までは全く記憶にありませんでした^^;w

鳥屋比古神社 とりやひこじんじゃ
御祭神 鳥屋比古神 大穴牟遲命 埴安命 句句廼遲命 加具土命 金山比古命 水波能賣命
鎮座地 鹿島郡中能登町春木ナ87
氏子区域 中能登町 春木
由緒
延喜式内社にあてられる古社。竹津浦鹿島路の湖水に毒蛇が住み、人民をこらしめたので、尊神はその毒蛇を射殺し給う。その矢、落ちたる所を羽板と言い、これは一青の庄で(羽板、春木、末坂、今羽板、一青、黒氏、久乃木、坪川、新庄、二十九日、川田、大槻、瀬戸、花見月、伊久留、吉田の18村)惣社として崇敬篤く、特に畠山領主の祈願所として尊敬され、明治41年神饌幣帛料供進神社に指定される。
鳥屋比古神社御由緒
創立の年代を詳かにしな いが、社伝によれば崇神天 皇の御宇鎮祭せられたもの という。
祭神鳥屋比古神は国土平 定開発の祖神と仰がれる大 神で、往昔、竹津浦鹿島路 の湖水に荒ぶる毒蛇が棲息 して人民に害毒を及ぼした 時これを平定し、その射給 うた矢の落ちたところを羽 坂と称するに至ったという。
而して、社殿後方の鳥屋 塚こそは、この蛇身等を埋 めたものだと伝えれいる。
醍醐天皇延喜の制、小社 に列して祈年の国幣に預っ た名社である。
古来、十三ヶ村の惣社と して地方広範囲にわたる崇 敬を集め、中世に畠山氏の 尊崇篤く、社領二百六十石 の寄進を受けた。
また、本社は古えより六 所大明神と称せられ、六神 奉祀するに至った。
−社前案内石碑−
創祀年代は不詳。
社伝によると、崇神天皇の御宇の創立。
祭神・鳥屋比古神は、
往古、竹津浦、鹿島路の湖水に棲息していた毒蛇を退治した神。
蛇を退治した鳥の化身なのだろうか。
とすると、孔雀明王と似た神、あるいは孔雀明王そのものかもしれない。
能登一宮の気多大社の伝承では、
能登へ渡ってきた大己貴命は、化鳥と大蛇を退治して能登を平定したとある。
大己貴命が来る以前は、能登は、鳥と蛇が争っていた土地なのかもしれない。
社殿の後方に、祭神が退治した毒蛇を埋めた鳥屋塚がある。
文化三年の由来書上帳に、
塚のに大きな桜の木があるといい、
祭神・鳥屋比古神の神詠は、
「我やとす 千本の桜花さけは 植にし人の身も栄ひなん」
というものだそうだ。
当社は、六所宮、六所明神とも称され、
六柱の神々を相殿に祀っている。
社前の案内石碑に、桜の紋が刻印されていた。
祭神の神詠によるものだろうか。
ひょっとしたら、鎮座地の春木も?
案内では、社殿後方に鳥屋塚があるということだが、
草木に覆われてよく分からなかった。
ずっと後方にあるのかもしれない。
なるほど、、、、。
そんな謂れのある神社だったのね??w
初めて知りました。
って言うか、名前も初めて知ったし^^;w
っていうかさ?
春木という名称の元が桜の木だったのか??
そう言えば、私の母方と父方双方の親戚に「春木」という苗字の人がいるんだよね?
私の母の従兄弟であり、また、父の従兄弟でもある。
春木村の春木さん、、、、、。

石段を登ります。

これが鳥屋比古神社でございます。

私が盆踊りに行ったのは50年くらい前の話だからな、、、、、。
風化してるね。

桜の御紋???w
これを見てハッとした!!w
これは、私の小学校の校章ではないか!!
小学校の名前は「鳥屋小学校」もちろん、この地は昭和時代は「鳥屋町」という地名でした。
鳥屋町の名前の由来になったのがこの神社だったんだね??
すでに、日本から「鹿島郡鳥屋町」と言う地名は消えてなくなったけどな、、、、、。

この神社に関しては、私の記憶は盆踊りを除いて他はない^^;

狛犬 「阿」

「吽」

隣にもう一つ神社が。

鳥屋町招魂社。

ここの狛犬は大人しくキチンと「お座り」してるんだね?w

阿

吽

この建物は私の記憶には全くありません^^;
初めて見た気がします。
覚えていないだけでしょうが、、、、^^;w

こちらは比古神社。

鳥居はずーと向こう側にあります。
鳥居は車通りからも見えるので結構印象に残りますな。
【延喜式神名帳】鳥屋比古神社 能登国 能登郡鎮座
【現社名】鳥屋比古神社
【住所】石川県鹿島郡中能登町春木ナ87
北緯36度59分40秒、東経136度54分2秒
【祭神】鳥屋比古神 大穴牟遅命 埴安命 句句廼遲命 加具土命 金山比古命 水波能売命
【例祭】4月10日 春季例大祭 9月10日 秋季例大祭
【社格】旧郷社
【由緒】崇神天皇の御宇鎮祭
明治14年8月郷社
明治41年4月神饌幣帛料供進神社指定
【関係氏族】
【鎮座地】本殿は往古現在地より北一町余の山上にあった
拝殿は現在地にあった
【祭祀対象】
【祭祀】江戸時代は「六所明神」と称していた
【社殿】本殿流造柿葺
拝殿
【境内社】渡会社・招魂社
「鳥屋」は万葉語「とや」に対する当て字であり、平野を意味する枕詞、祭神鳥屋比古は、野原を支配する男という意味と考えられる。
祭神鳥屋比古神が鹿島路の湖水に住む毒蛇を射殺して当地一帯を平定したと伝える。
明治初年の神仏分離により、安置していた仏像6体は、羽坂の弘願寺に預けられた。
本殿は往古現在地より北一町余の山上にあったという、拝殿は現在地にあったという。
現在地よりも北一町ですか??
春木村の春木さん、、、、。
少なくとも、この神社の家紋の桜の紋と春の木、春木が同じ意味合いを示す可能性は高いな!
そうそう!
私の先祖の家の屋号は「ちょっきま」と言うのだよ。
屋号は「さ」で終わる場合が多い、「たっさ」とか「えんきょさ」とか、、、、。
「ま」で終わる屋号はくらいが高いという話を昔聞いたことがある。
なんだか面白そうじゃないですか??w
自分探しの旅はまだまだこれから新しい発見があるんじゃないか??w
次はどこに向かいましょうか???
自分でも先がわかりません^^w;
気まぐれで、続く!!!w
今回はここまで^^;



















