道閑の墓の案内があります。
長楽寺の裏山は墓山になっているようですね。
かなり古い時代のものから新しいものまで色々あります。
真言宗高野山派のお寺なので真宗のとは趣が異なりますね。
墓山を登ると泰澄大師が開山したと言われている石動山が見えますね。
阿闍梨何某の墓とあります。
なんで?
墓山なんかに入り込んだのか??って??
実は、おそらくこの墓山のどこかに私自身の先祖と深い関わりのある方のお墓があるからです。
それがどれなのかは、私にはわかりません。
私の母方の先祖と関わりの深い方。
直径の先祖ではなく、私の母方の祖母の育ての親?にあたる方のお墓がここにあるらしいのです。
私の祖母は北海道で生まれたらしく、幼い頃にどういう事情かわかりませんが北陸の地に連れてこられたとか、、、、。
その祖母の育ての親になってくださった方のお墓がおそらくこの山のどこかにある、、、、、。
なので、ここには私のroots!があるわけです。
この山の何処かに、、、、、、。
近世の檀徒には、郡内の十村役や肝煎役などを抱え、山内墓地には道閑事件で知られる十村で義民となった園田道閑の墓がある。
山頂部の古墳数基は神々の塚と伝わる。
山頂部の古墳数基??
山頂に古墳があるのか???w
神々の塚ですか??
道閑と言っても太田道灌ではありません。
これは確認せねばなるまい!
これはくらいの高そうなお坊さんの墓かな?
えらく古そうなお墓ですねぇ、、、、、。
さらに登ってみます。
アバラキャ
仏像の破片たち、、、、、、。
見つけました!
道閑の墓
寛文7年、
迎覚道性禅門
12月16日
とあります。
道閑の墓については以前訪れたことがありました。
道閑の墓 追悼墓とありますね。
兵八、六太夫、万兵衛、、、、。
道閑のはりつけと同時に三人の男の子も首を刎ねられました。
残酷 (><;
鹿島郡中能登町にある道閑公園は、領民の生活を思って加賀藩の検地に反対し、処刑された十村役の道閑を偲んで作られた公園で、道閑の墓もあります。
道閑の処刑の跡地は道閑公園から離れており、県道244号線久江東交差点から徒歩で数分のところにあります。道閑刑場跡は町の史跡に指定されていますが、標識もないので捜すのに苦労します。
地元の駐在所に聞いても分かりませんでした。
石川県羽咋郡中能登町久江
↑ こちらは道閑追悼墓の情報です。
↓ 道閑に関しての詳しい資料はここです。
http://hino.anime.coocan.jp/doukan/uranojikentodoukan.pdf
泰澄大師が開山した石動山、石動山ゆかりの寺長楽寺。
そして、園田道閑の墓。
この墓山のお墓群は一般のそれとはかなり趣を異にしていると感じます。
石動山修験者たちの末裔たち、道閑や農民たちも石動山につながる者たちではなかったのか?
道閑の悲しい末路と、二度の焼き討ちに見舞われた石動山。
この地に漂う何か悲しい歴史が伺われます。
続く、、、、。