金沢東山茶屋街、菅原神社の向かいあたりにあるのが宇多須神社です。
阿
阿
阿
吽
吽
ずいぶん立派な狛犬様でございます^^;
加賀獅子と呼ばれているそうな、、、、、。
桜の木ですか?
二台持ちでクローズアップ!
お向かいは甘味処の町屋カフェでございます。
趣向を変えて、裏口から入ってみました。
ここが宇多須神社の裏口です。
回廊という感じですね。
宇多須神社
養老二年(七一八)卯辰村字一本松に卯辰治田多門天社として創建されたことが起こりといわれている。社記によれば、 浅野川の河辺の小丘のなかから掘り出した古鏡の裏面に、卯 と辰の紋様があったので、これを卯辰神として記ったとある。
慶長四年(一五九九)、加賀藩初代藩主・前田利家が没し、 天下が不穏な動きの中、二代利長が守山(現高岡市)で守護神としていた物部八幡宮と阿尾(現氷見市)の榊葉神明宮の神霊を遷座して、卯辰八幡宮を建立、同時に利家の神霊を紀り、藩社とした。廃藩置県により明治六年、尾山神社を建立し利家を遷座した。
卯辰八幡宮は、明治三四年)(一九〇一)卯辰山の古名が宇多須山ということから宇多須神社と改称された。
境内奥手には、五代綱紀が庖癒にかかった折、綱紀の後見人であった利常の命により、湯を沸かしたご神水に酒を入れ「酒 湯(ささゆ)」を作り、体にかけて病気を平癒したとする、ご神水の井戸水の跡が、「利常公酒湯の井戸」として残っている。
なるほど、尾山神社に祀られる以前はここが利家公のお宮だったんだな^^;
利常公酒湯の井戸
利常公酒湯の井戸
この井戸は卯辰八幡宮(現在の宇多須神社)が創建された慶長四年(一五九九年)頃できたものと伝えられている。
卯辰八幡宮は、明治の廃藩置県まで加賀藩の神社(二台目藩主利長公が金沢城の鬼門のこの地に利家公をお祀りした藩社)として歴代藩主以下、奥方様や家老のお参りは日常的にありこの井戸もご神水(弥都波能売神:みつはのめのかみ)として大事にされてきた。
中でも、五代綱紀公が疱瘡(ほうそう)にかかられたとき当社において祈願をし、ご神水を沸かし酒を入れて「酒湯」(ささゆ)として体にかけ、治したとされている。
綱紀公治癒のお祝いに後見人の利常公が三代将軍徳川家光公より時服二◯をいただいたという記録が残っている。
ほほぉ、、、、。
井戸も神様なんだね。
境内へと向かいます。
さらに回廊を進んでゆきますよ。
むむっ、、、。
誰かおる??w
忍びの者か?w
さすがは利家公ゆかりのお宮さんですな^^;w
三福神
提灯も梅鉢紋だね。
正面にきました。
梅鉢紋と梅の欄間。
むむっ、、、、。
ここにも忍びが!w
3人の忍者がいるという話なんだが??
二人しか見つけられなかった^^;w
びっくりするよね??w
絵馬も梅鉢紋なんだ!
由緒のある神社なんだな、、、、。
御手洗
ちゃんと龍の口から水が出てます!w
手水の作法!!
裏口から入ってくるなどもっての外か??w
龍も品があるね^^;
結婚式の前撮り??
茶屋街にもいるよね^^;
なるほどねぇ、、、、。
お勉強になりましたな^^;w
このあと意外な展開に、、、、、、。
なぬ??w
金沢の人気観光スポット「ひがし茶屋街」の一角にある【宇多須神社】は、毘沙門さんの呼び名で地元の人に親しまれています。
十体の神様が祀られ、そのご利益の多さは金沢一!
金運上昇、学業成就、招福開運、安産に、悪縁切り。まだまだ沢山のご利益があります。