東山茶屋街のどんつきを左に折れて進んでいきます。
緩やかにカーブしてゆきますね。
見えてまいりました。
ここが東山菅原神社です。
菅原って??天神様のことだよね??
天満宮と菅原神社って??
どう違うんだ??
それほど大きくない、東山茶屋街の鎮守社のようですね。
御神木の松は男松と女松があるようで左側に写っているのが男松です。
狛犬です。
顔が崩れている??
ひがし茶屋街の奥、宇多須神社の向かいにある東山菅原神社の狛犬。
東山菅原神社は、ひがし茶屋街の鎮守社だそうだ。
この古くて小さな狛犬「阿」。
狛犬には一般的に、性別がないと言われているが、この菅原神社には、オスの狛犬がいる。
オスの狛犬の頭を撫でてあげると、女の人は幸せになれるという言い伝えもあるそう。
左右、どちらの狛犬がオスなのか?
それは見るべき場所を見ればわかるはず。
インスタグラムより、、、、。
まぢか?w
流石にそこは写真に収められんやろ??w
女性たちに撫でられて、ここまですり減ったのかね??w
もう片割れの狛犬も顔が崩れてるね。
奥の方の狛犬はもっと悲惨!
撫ですぎやろ??w
確かに撫で回した形跡は感じられるか???
なにか恐ろしいほどの情念を感じるのだが???www
狛犬小さいのよ^^;
境内も狭いよね??
御神木は松の木。
良縁の松!!w
御神木 良縁の松
江戸時代末期に先人たちが町づくりにつとめ住民の安全と発展を願い天満宮を鎮守社として創立された。
その境内に鳥居を立て、山道の右に赤松(別名、女松)左に黒松(別名、男松)を配し、諸事の良縁が叶えられるよう現在もなお当時を偲ぶ御神木と考えられる。
云々、、、、、。
なのだそうだよ!w
おみくじを結ぶところ。
本当に在所の鎮守の杜という感じだな。
菅原神社
この神社は東茶屋街の鎮守社である。
加賀藩十二代藩主斉広の時、文政三年(一八二〇)金沢に犀川、浅野川の両地において、はじめて 妓楼を置くことを公許された。犀川は石坂町、 浅野川は卯辰茶屋町にはじめて家屋を建て、営業をはじめた 。その時観音町酉源寺の後に菅原道真を祀り、芸妓たちの鎮守の神として崇められた。その後、現在の位置に移転する。
太い木材を使った立派な梁が見られる社殿や、歴史を感じさせる小さな狛犬が二体向かい合って建っている。
1820年(文政3年)加賀藩十二代藩主 斉広の時に初めて金沢の犀川と浅野川の両地に妓楼を置くことが許可されました。そこで、犀川は石坂町に、浅野川は卯辰茶屋街で家屋を建てて、営業をはじめまました。その後、学問の神様と呼ばれる菅原道真を祀り、芸妓たちの守り神、ひがし茶屋街の鎮守社として創建されたのが、「東山菅原神社」です。