さて、今回は小立野から天神坂を下ったところにある椿原天満宮です。
何気に神社仏閣巡りが多い今日この頃ですが^^;w
立派な鳥居です。
お社に続く石段を登ってゆきます。
右脇に小さな祠がありますが案内はありませんでした^^;
石灯籠です。
さらにモダンな形の大きな石灯籠があります。
御手洗
龍です。
阿!
宙を舞う狛犬。
吽!
こちらは空を見据えているようですね!
様式は卯辰神社の狛犬に似ていると思われます。
彫刻としてみても非常に見応えのある素晴らしいものです。
狛犬は二番目の石段の中程に配置されています。
3対目の石灯籠です。
振り返ってみると2対目の石灯籠がいかに立派かがわかりますね!w
すんげえ!w
こちらの石灯籠はえらく年季が入ってる感じが、、、、^^;w
天満宮本宮です。
金文字で天満宮
菅原道真の石彫がありました。
梅鉢紋がたのおみくじ結び処
学問の神!
本社の裏手に回ってみます。
椿原山砦跡
一向一揆の時代の砦跡ですか??
奥宮が建っている場所が砦跡なんですかね??
こんなお社があったなんて今まで知らなんだ^^;w
こちらは横から入ってくる参道??
稲荷社ですかね?
金沢の街中の神社には稲荷社が一緒に祀られているところが多い気がします。
狐さんです。
笑ってるよ^^;
こっちはネズコか??
竹をくわえてる???w
っていうか、ネズコがこっちを真似したのかな??w
稲荷社の狐って??
何かの使者なんですかね??
おいなりさんFAQ!w
「お稲荷さん」ときつねの関係は?
「稲荷大神様」のお使い(眷族)はきつねとされています。但し野山に居る狐ではなく、眷属様も大神様同様に我々の目には見えません。そのため白(透明)狐=“びゃっこさん”といってあがめます。
勿論「稲荷大神様」はきつねではありません。
白狐なんですかね??
白狐隊というのもありましたな。
確か狐様には7つの種類があると聞いたことがあります。
えらいたくさんのお狐様が伝承されているようですね^^;
私が聞いたことがあるのは、、、、。
野孤、いいずな狐、白狐、銀孤、金孤、天狐 だったかな??
あれ??
五種しかない??
様々な種類の狐
野狐(やこ)
いわゆる野良の狐。中国では仙狐を目指し修行するための試験に合格していない狐を指す場合もある日本では、人間に対して悪事やいたずらをする狐全般をさして野狐という呼び方が用いられてもいる。
仙狐(せんこ)
中国における狐の妖怪のひとつ。仙術を修行・獲得した狐たちをさす。
白狐(びゃっこ、はくこ)
白い毛色を持つ。日本では、安倍晴明の母親とされている葛の葉や、狂言『釣狐』の題材となったとされる白蔵主などが有名。稲荷神の眷属である狐も、ほとんどが白狐である。人々に幸福をもたらすとされる。「狐ものがたり」では善狐の1種族としても挙げられている。
九尾狐(きゅうびこ)・九尾の狐(きゅうびのきつね)
中国では瑞獣のひとつであるとされている。『封神演義』の妲己や『三国妖狐伝』の玉藻前などの正体であるとされることから、江戸時代以後は強大な妖力を持った妖狐として語られることが多い。
八尾狐
江戸時代に春日局が書いたとされる『東照大権現祝詞』に、「三代将軍徳川家光の夢に八尾の狐が現われ、患っていた病が治る旨を告げて去っていった」こと、家光が絵に描かせた事がつづられている[31]。長らく絵は不明であったが、2015年に京都府内の個人宅で幕府御用絵師狩野探幽作『八尾狐図(やおのきつねず)』が発見された
金狐(きんこ)
銀狐(ぎんこ)
黒狐(こくこ)
「狐ものがたり」(『宮川舎漫筆』収録)に説かれている善狐のうちの種族として名前が挙げられている。同文では善狐の種族には天狐・金狐・銀狐・白狐・黒狐の5種が存在しているとされている。
WikiPediaの解説では8種類か?
これに飯綱と天狐を加えると10種類になる??w
皆川淇園による狐の格付け
狐の格付けは江戸時代、稲荷・霊狐を信仰する人々の間で種々説かれており、いくつか存在する。江戸時代末期の随筆『善庵随筆』などに引かれている皆川淇園が書き記している説によると、上位から天狐、空狐、気狐、野狐の順であるとされる。これらの内、実体を視覚で捉えることができるのは野狐のみであり、気狐以上は姿形がなく、霊的な存在とされる。
最上位である天狐は神に等しいとされる。
天狐(てんこ)
強力な神通力を持つ狐。神と等しい存在であるという。
天狐という語は天狗と同一のものであるという説もある。
「狐ものがたり」では善狐の1種族としても挙げられている。
空狐(くうこ)
神通力を自在に操れる狐。気狐たちの倍の霊力を持っている。
気狐(きこ)
野狐たちよりも位の進んだ狐たち
こちらだと4種類か??
うーん、、、、。
よくわからん。
まさに、狐につままれた???w
なぜ「お稲荷さん」には鳥居がいっぱいあるの?
願い事が「通る」或いは「通った」御礼の意味から、鳥居を感謝のしるしとして奉納することが江戸時代以降に広がった結果です。現在は約1万基の鳥居がお山の参道全体に並んで立っています。
横からの参道にも石灯籠がありました。
こちら側は形が違いますね。
がっぱの神様
由来が書かれていました。
「がっぱ」とはこの地方の方言、頭にできた湿疹のこと。
それに効くのがこの神様とか??
これががっぱの神様です!
駐車場までおりてきました。
これは何だろう??
椿原神社と読み取れます。
天満宮じゃなかったんか??w
随分と古そうな石板ですね。
椿魂碑
京都 北野天満宮
宮司 橘重十九 謹書
御手洗
屋根のてっぺんには梅鉢紋!
小立野周辺には梅鉢紋が結構多いですね。
学生時代は小立野に住んでいましたが椿原天満宮をこうやって訪問するのは初めてかも??
改めて訪問してみると色々と発見がありますね!