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さて、午前中のうちに家に戻って、ナン&カレーで昼食を済ませて、夏休みの宿題を片付けにかかります^^;
地元の古いものを取材して、報告する也!
取りあえず「板屋神社」でしょうか?
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ここは春に一回下見に行ってますんで、話しは早いです^^;
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子供二人連れて、参道を登ってゆきます。
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なにやら、お花も咲いています。
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竹やぶを抜けていきます。
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雨が続いた影響でしょうか?
きのこが、、、、、。
おそらく、毒キノコだぞ?w
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いかにも毒キノコって感じですよね??
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雑木林を上ってゆきます。
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またもや?キノコ??
ブナシメジ??
いやいや、君子危うきに近づかずです^^;
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雑木林を抜けると、板屋神社に到着です。
板屋神社とは、日本三大用水のひとつ「辰巳用水」を設計施工した人物、板屋兵四郎の名前から由来しています。
詳細について調べてみると、、、、。
「全国地図測量史跡」全文紹介
総延長約10kmの辰巳用水の完成は、わずか1年後のことであった。このように短期間で難工事が完成を見た理由の一つは、全体をいくつかの工区に分け、それぞれに責任者を当て、兵四郎が全体を差配したからだといわれている。
その背景には、信頼のおける測量成果と綿密な工事設計ができていたからにほかならない。
兵四郎のその後はというと、技術の漏洩を防ぐ目的からか、残された資料も少なく、工事完了後に謀殺されたという説があるなど不明な点が多い。
兵四郎の工事事務所にあたるものがあったといわれる河北郡袋村に板屋神社があり、ここには以下のような話が伝えられている。
この地では、謀殺説の翌年に天候不順となり、これは兵四郎の祟りであるとの噂が流れた。
そこで、袋村の八幡社に彼の霊を合祀して、袋の神(風を袋に封じ込める)と呼んだという。
上辰巳町にも板屋神社があり、兵四郎を主祭神として昭和35年に創建された。何れの神社にも兵四郎らが辰巳用水で使用した石管が残されている。
さらに、兵四郎の墓として伝承されるものが、金沢市東山 2-18-27の蓮覚寺にあるというが、真偽のほどは定かではない。
真偽のほどは定かではない、、、、??
ですか?w
まあ、事実としては、この地に「板屋神社」があるということくらいですかね?
夏休みの宿題には、格好の材料だと思われますが^^;
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で、
実際の子供の感想は、、、、。
「神社の前には、蚊がたくさん出るんで、近づかないほうが良いと思います、、、」
って?w
どうよ?w
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私がネットで調べた限りでは、板屋神社は少なくとも3つあるようです。
上辰巳町に加え、浅野川沿いの袋板屋町に板屋神社(かつてこの地は河北郡と呼ばれていたようです)、
あとは、金沢中心街の金沢神社内にもあるようです。
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子供の感想にもあったように、蚊がすごいので、写真を撮って即退散しました^^;
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謎が謎を呼ぶ「板屋神社」
夏休みの宿題が終わっても、板屋兵四郎を取り巻くミステリーは終わらない感じでしょうか?w
辰巳用水を「世界遺産」に登録しようという動きがあるようですが、、、、、。
その節には是非、板屋兵四郎のミステリーを解き明かしてもらいたいものです^^;