この前NHKラジオを聞いていましたら、「鉄道員」(ぽっぽや)の著者が宮沢賢治の作品について、こんな風に語っていました。

「賢治の作品には全く作為がない。
 一つの賢治宇宙を構成して、その中で全く作為を持たずに物語が展開する。
 このような作品が描けるのは、世界中に宮沢賢治ただ一人では無いでしょうか?」

と。

さすがにこの言葉には唸らされました。

その真逆に、World BaseBall Classicsで、作為に充ち満ちたwどこかの国の思惑が全く気持ちの良いほど大ハズレしたのは、みなさまの記憶に新しいと思います。

作為
見え見えの作為という物が、いかに?人に魅力を感じさせないか?
また、作為が無く、あるいは、その作為を大逆転させた、しかもエネルギーに満ちあふれている物が、どれほど人の心を引きつけるか!

なにか、これだな!
と、感じる物がありました。

まだまだ、自分は作為に溺れている、、、、、。
作為を取り払って行きたいと感じています。

無策の策とは、宮本武蔵の言葉でもありますが、作為を持たずに一つの世界を築き上げて行く!
これこそが、究極だと思います。

作為を捨てよう、、、、。
作為を捨てよう、、、、。

ミンナニデクノボウトヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハ
ナリタイ

一番大切なことを忘れていたようです、、、、、。

まだまだ、道は険しそうですなぁ、、、、。
 

Comments

    • からす's comment
    • 2006年03月24日 07:12
    • 蚕がキラキラ白い糸を出して繭をつむいでゆくように、ごくごく当たり前の営みのように「美しひ物語をつむいでゆく」。それが賢治の物語のつむぎかたじゃないかと思います。

      そういふ物語を私もつむぎたひ。
    • ランダム's comment
    • 2006年03月24日 16:27
    • 人とのお付き合いも同じですね。
      裏があったり、下心がある人間関係は疲れるし、イヤになったりします。

      僕もなりたいですねぇ。。。
    • でくの's comment
    • 2006年03月25日 23:53
    • からすさん:
      本当にそう思いますね。
      現実は、厳しいですけど、、、、、。
      取りあえず、要らぬ苦労をすることはやめにしようと思います。
      自然に、感じたまま、導かれるままに進みたいですね。

      ランダムさん:
      私も、陶芸の仕事以外では、IT関係が多く、しかも個人客相手が多いので、クレームとか、脅しとか、強請たかり??まがいの物まで、色々と経験させられています。
      自分の非は認めないで「何とかしろ!!」と大声で怒鳴れば、何とかなるみたいな、、、、、。

      精神的にはボロボロになり、気力さえ失せそうになります。
      それもこれも、本当の幸いに至るための一足ずつだと信じてみたいですね、、、、、。

Add Comments

名前
 
  絵文字
 
 
QRコード
QRコード
記事検索
Archives
カテゴリ別アーカイブ
最新コメント
読者登録
LINE読者登録QRコード
ブログ村
ブログランキング・にほんブログ村へ
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

  • ライブドアブログ