不思議な夢を見ました。
20世紀に、中村梅山という陶芸家がいました。
私自身、学生の頃粘土練り等の下仕事で、アルバイトに通っていた窯元でした。
私自身は大学卒業後は、松本佐一先生と言う方のところで、3年半弟子入りし、その後独立して自分の窯を持ったわけですけど。
独立してからも、中村梅山氏のもとで何度か仕事をしました。
主に卓夫さん(現在の3代目梅山)の仕事の手伝いという感じでしたけど、時々2代目梅山氏の仕事を手伝わせて貰っていました。
大阪花博の時、お茶道具制作に携わった事は、今でも印象に深く残っています。
当時の梅山氏は、80歳前後でしたでしょうか?
さすがに、水差しのような大きな物は、体力的に難しいと感じられたのでしょうか?
いくつか、ろくろ引き依頼されました。
それはそれは、ろくろをひいている私の横に、梅山氏がつきっきりで、形を指導し納得のいくラインが出るまで細かく指示されながらの制作でしたから、大変な物でした^^;
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20世紀に、中村梅山という陶芸家がいました。
私自身、学生の頃粘土練り等の下仕事で、アルバイトに通っていた窯元でした。
私自身は大学卒業後は、松本佐一先生と言う方のところで、3年半弟子入りし、その後独立して自分の窯を持ったわけですけど。
独立してからも、中村梅山氏のもとで何度か仕事をしました。
主に卓夫さん(現在の3代目梅山)の仕事の手伝いという感じでしたけど、時々2代目梅山氏の仕事を手伝わせて貰っていました。
大阪花博の時、お茶道具制作に携わった事は、今でも印象に深く残っています。
当時の梅山氏は、80歳前後でしたでしょうか?
さすがに、水差しのような大きな物は、体力的に難しいと感じられたのでしょうか?
いくつか、ろくろ引き依頼されました。
それはそれは、ろくろをひいている私の横に、梅山氏がつきっきりで、形を指導し納得のいくラインが出るまで細かく指示されながらの制作でしたから、大変な物でした^^;
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それは、自分が引き上げた形ではありませんでしたね、、、、。
梅山の魂が私の体に乗り移って、形になって行くかんじでしたね。
今でも強烈な印象で、その時のことが蘇ります。
その時に引いた「しゃく立て」が痛く気に入ったご様子で、
「ええしゃくたてができた」と喜んでいた姿を、鮮明に覚えています。
まあ、稚拙な私の技術では、よほどもどかしい思いをされていたんだと思いますね、、、、、。
私が土を操る姿を見て、
「やっぱり、若いから力があるなぁ、、、、、」
ただ、若さと体力だけを羨んでいたのを、思い出します。
体力さえあれば、こんな能なしに頼まなくても、すむのに、、、、、、。
そんな感じだったでしょうか?
それでも、懲りもせず頼りにしてくれていたのを、今でもうれしく感じていますし、陶芸について、本当に教わったのは、中村梅山だと心の中では思っています。
梅山氏は90歳くらいで、この世を去ったと記憶しています。
亡くなる1ヶ月前まで、作陶を続けていた「生涯一職人」を貫き通した人物です。
体の自由がきかなくなって、「もう、生きていてもしょうがないのぉ、、、、」と言ってから、僅か1ヶ月で世を去ったと、後に、卓夫さんから伺いました。
すさまじいまでに潔く、陶芸一筋に生きた人でしたね、、、、。
後年はまさに陶芸意外のことは、何もしていない人でした。
生きることそのものが「やきもの」を作ることで、それ以外は全く興味がなく、外に出ることもほとんどなかったと思います。
公募展に出展することもなく、会派に所属することもなく、地位や名誉と言った物に一切興味がない方でした。
その生き様は、私の憧れでした。
私自身は、中村梅山のような生き方ができるとは思えませんし、まだまだ自分の未熟さを情けなく感じながらも、食うためにあれこれサイドジョブをこなしながら、何か遠回りをしているようにも感じます。
いつかは、梅山のような生活をしてみたい、、、、、。
そう言う思いは、まだどこか心の片隅にあるのかも知れません。
でw
夢の話です^^;
別にどうと言うことのない夢でした。
中村梅山氏の家に遊びに行っている夢です。
私が、一方的に梅山氏にあれこれ問いかけているんですが、師は何も答えてくれず、ただ、静かに笑っている、、、、。
そんな感じでしたね。
その表情は若々しくて、いつまでたっても元気そうだなぁ、、、、。
と、その顔を見ながら、私もうれしくて、うれしくて、、、、、。
なんで、こんな夢を見たのか?
別に、不思議でも、なんでもないただのありふれた夢です。
しかしながら、何かこう書き留めておかなければすまない物を感じる夢でした。
最近では、夢を見ても朝には忘れてしまっていることが多いんですけど、不思議と強く印象に残っています。
私が、梅山氏に何を聞きたかったのか?
どんな返事を期待していたのか?
そのあたりは、何も思い出せません、、、、、。
ただ、元気そうな中村梅山氏の笑顔に、本当にうれしくて、うれしくて、幸せな思いで目が覚めました。
そんな夢を見たことだけは、忘れたくないなと、ただ、書き留めたまでですけど^^;
梅山の魂が私の体に乗り移って、形になって行くかんじでしたね。
今でも強烈な印象で、その時のことが蘇ります。
その時に引いた「しゃく立て」が痛く気に入ったご様子で、
「ええしゃくたてができた」と喜んでいた姿を、鮮明に覚えています。
まあ、稚拙な私の技術では、よほどもどかしい思いをされていたんだと思いますね、、、、、。
私が土を操る姿を見て、
「やっぱり、若いから力があるなぁ、、、、、」
ただ、若さと体力だけを羨んでいたのを、思い出します。
体力さえあれば、こんな能なしに頼まなくても、すむのに、、、、、、。
そんな感じだったでしょうか?
それでも、懲りもせず頼りにしてくれていたのを、今でもうれしく感じていますし、陶芸について、本当に教わったのは、中村梅山だと心の中では思っています。
梅山氏は90歳くらいで、この世を去ったと記憶しています。
亡くなる1ヶ月前まで、作陶を続けていた「生涯一職人」を貫き通した人物です。
体の自由がきかなくなって、「もう、生きていてもしょうがないのぉ、、、、」と言ってから、僅か1ヶ月で世を去ったと、後に、卓夫さんから伺いました。
すさまじいまでに潔く、陶芸一筋に生きた人でしたね、、、、。
後年はまさに陶芸意外のことは、何もしていない人でした。
生きることそのものが「やきもの」を作ることで、それ以外は全く興味がなく、外に出ることもほとんどなかったと思います。
公募展に出展することもなく、会派に所属することもなく、地位や名誉と言った物に一切興味がない方でした。
その生き様は、私の憧れでした。
私自身は、中村梅山のような生き方ができるとは思えませんし、まだまだ自分の未熟さを情けなく感じながらも、食うためにあれこれサイドジョブをこなしながら、何か遠回りをしているようにも感じます。
いつかは、梅山のような生活をしてみたい、、、、、。
そう言う思いは、まだどこか心の片隅にあるのかも知れません。
でw
夢の話です^^;
別にどうと言うことのない夢でした。
中村梅山氏の家に遊びに行っている夢です。
私が、一方的に梅山氏にあれこれ問いかけているんですが、師は何も答えてくれず、ただ、静かに笑っている、、、、。
そんな感じでしたね。
その表情は若々しくて、いつまでたっても元気そうだなぁ、、、、。
と、その顔を見ながら、私もうれしくて、うれしくて、、、、、。
なんで、こんな夢を見たのか?
別に、不思議でも、なんでもないただのありふれた夢です。
しかしながら、何かこう書き留めておかなければすまない物を感じる夢でした。
最近では、夢を見ても朝には忘れてしまっていることが多いんですけど、不思議と強く印象に残っています。
私が、梅山氏に何を聞きたかったのか?
どんな返事を期待していたのか?
そのあたりは、何も思い出せません、、、、、。
ただ、元気そうな中村梅山氏の笑顔に、本当にうれしくて、うれしくて、幸せな思いで目が覚めました。
そんな夢を見たことだけは、忘れたくないなと、ただ、書き留めたまでですけど^^;
素晴らしいお師匠さんに出会われましたねぇ。
素敵な夢の話、有難うございました。