この前NHKラジオを聞いていましたら、「鉄道員」(ぽっぽや)の著者が宮沢賢治の作品について、こんな風に語っていました。

「賢治の作品には全く作為がない。
 一つの賢治宇宙を構成して、その中で全く作為を持たずに物語が展開する。
 このような作品が描けるのは、世界中に宮沢賢治ただ一人では無いでしょうか?」

と。

さすがにこの言葉には唸らされました。

その真逆に、World BaseBall Classicsで、作為に充ち満ちたwどこかの国の思惑が全く気持ちの良いほど大ハズレしたのは、みなさまの記憶に新しいと思います。

作為
見え見えの作為という物が、いかに?人に魅力を感じさせないか?
また、作為が無く、あるいは、その作為を大逆転させた、しかもエネルギーに満ちあふれている物が、どれほど人の心を引きつけるか!

なにか、これだな!
と、感じる物がありました。

まだまだ、自分は作為に溺れている、、、、、。
作為を取り払って行きたいと感じています。

無策の策とは、宮本武蔵の言葉でもありますが、作為を持たずに一つの世界を築き上げて行く!
これこそが、究極だと思います。

作為を捨てよう、、、、。
作為を捨てよう、、、、。

ミンナニデクノボウトヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハ
ナリタイ

一番大切なことを忘れていたようです、、、、、。

まだまだ、道は険しそうですなぁ、、、、。